趣味の世界
自作スピーカー/DAC、テニス、囲碁、絵画観賞、旅行、読書などの趣味の世界をボチボチと描いて行きます。DACはVICS USB-DAC PCM2704、EMISUKE 4399Q2(DDCはM2TECH)を完成。 2インチウッドホーン(図面公開)と、30cmウーファーバックロードホーン(長岡先生設計)、200Lの3D用ダブルウーファーを製作。 金田式6db/octネットワーク、コイルを手巻き、中高域ドライバーにドイツ製BMS4592NDを使用中。 安井先生推奨の混変調歪防止フィルターをDDCとDAC-4399に使用。JBLの特許、チャージカップル回路を推定して製作。SDTrans384を入手。チャンデバdcx2496と中国製ta2020アンプを使用しマルチアンプ化。かないまる式吸音パネルと岩瀬式多孔吸音パネルを試作。 YL 75000を入手し、中低音ウッドホーン完成。アナログICで7CHマルチ+プリアンプ完成。旅行では、スイス、英国、ウインブルドン観戦、フランス、イタリア、ポルトガル、中欧旅行など、テニスは現在JOP登録して奮戦中です。
2023年12月27日水曜日
2023年年末で 今年の振り返りと来年目標
2023年12月8日金曜日
2023年5月2日火曜日
プリアンプの製作と測定
2019年3月にプリアンプの構想を書いてから4年たちますが、今年ようやく完成し測定も行い既に使用しております。
MC/MMイコライザー回路およびコントロール回路いずれも、安井章さんが無線と実験に発表された(イコ:2015/11-16/1 コントロール:2018/1,2)回路に準じてます。
イコライザー回路は基板を分けていただいた後にOPアンプ、C、Rなど部品を装着、以下のように作成。 使用OPアンプは、OPA604を片側2PC使用。
一方コントロール回路の基板は自分で何度も作り直してやっと完成(写真右側の茶色基板2枚)。 OPアンプはMUSES03を片側1pc使用。 電源は試行錯誤色々作り直し以下の手前の茶色基板ではなく、3端子レギュレータを使用しました。
2023年5月1日月曜日
スイス旅行(2)
4日目 23日
朝5時半起床、朝食前にマッターホルンの朝焼けを見にゆく為、ロビー前に添乗員以下十数名集合。
橋の上の観測点から望んだが、雨雲が低く全く山が見えない、残念。
木村添乗員から、よく見えた朝の写真をエアドロップで受け取った。 天気よければこのように見えるらしい。
今日は8:30出発で、ロジナグラード鉄道はアプト式で3131mまで上がる。
高山病にならない為、ゆっくり歩きおしゃべりしすぎない事が大事だと。
晴れていれば29あるイタリアの4000m級の山が見えるはずだと期待。
鉄道は9190m標高差1600mとの事で、途中駅数ヶ所、スキー客が乗降。 マッターホルンはまだ見えない。
頂上駅まで到達しても、マッターホルンは最後まで見えなかったが、左側のモンテローザ4634m及中央の氷河と右側ディスカム4524mはほぼ頂上が見え写真も撮れた。
展望台頂上では、風も強く傘は難しく持参したカッパが活躍した。
10:43で電車はゆっくりとしかし突然動き始めたが、降りるというか席を立つと落ちそうな急傾斜だ。
窓の外の斜面は上級のスキーヤーが上手に滑走していた。
午後は昼食後、自由行動を選択して、①教会、②外国人墓地、
③マッターホルンミュージアム、④スーパー(coop)、⑤ウインドショッピングなど3時間ほどツエルマットの街並みを散策した。
特筆すべきは、マッターホルン博物館であった。
マッターホルンでは今でも登頂に犠牲者が出るが、この最初の登頂、その後ルートを変え困難な登頂にどれほどの人が挑戦したか、その歴史を展示する博物館でした。
最初の登頂者7名中生還したのは3名で1名は行方不明、3名の死者には有名なザイル切断が起因した人もあり、そのザイルの展示もあった。
素人目だがかなり細いザイルに思えた。
これらが地下1Fから3Fに展示されており、映像の展示もあった。
夕食はホテルで会食。
5日目 24日
5;45起床、食後7:30出発。
ツエルマットから鉄道でテーシャに、その後バスで前々日のSaas-feeからのコースを戻ってさらにSimon経由シャモニーに移動。
シャモニーから、ゴンドラを2台乗り継いで上がるが、すぐに雲に突っ込んで山肌は隠れあたりは雪で一色、視界が無くなる。
ここには9年前の夏に来ているが、少なくとも最初の一台目ゴンドラまでは全く雪がなかったような記憶あり。
ゴンドラの最後はすでに零下15°の世界で、エレベーターで上がってエギーユ・ドウ・ミディ展望台につく。 下の写真は、最後のゴンドラとエレベータの間の地下道。
案の定、右も左も真っ白な雲状態だったが、少しすると奇跡的にモンブラン方面の雲が消えて20分程度山頂まではっきりと見えた。
なおマッターホルン方向は全く見えなかったのは残念。 前回のようにマッターホーンは見えなかった。
2007年にみたマッターホーンの写真を以下に示す。
昼食はシャモニーに戻り15分以上歩いて日本食屋でサーモンのグリルと冷製茶碗蒸しを食べ久しぶりの日本食。 シャモニーの街はやはりおしゃれだ。
食後は元来た道をバックして、レマン湖(スイスとフランスの国境にあり上流はロッテン川の淡水湖)まで。 なおカエサルの書いた書の中にレマン湖の名があるそうだ。
シオン城を通過して、モントルー市を通り過ぎ、右側は葡萄畑(ラボー地区世界遺産)となり、その後しばらく普通の高速道路を走る。
グリュイエール湖を右側に見て通過し、30分ほどたってアーレ川を渡って首都ベルンにはいり少し渋滞に巻き込まれた後通過し、再び高速道路を走ると両側が雪を被ったアルプスの山々。
トウン湖を左に見て対岸にはインターラーケンの町がある道をすすみ、ウィルダースウィル方面へ、インターラーケンの町を過ぎて山道になるとメンヒが右、アイガーが左奥に見える。
夏は雪がだいぶ無くなるので今が美しい。 アイガー北壁は左側に見えてくる。
グリーンデルバルトはアイガー他登山の拠点であり、2021年にできたアイガーイクスプレス鉄道もあるが、町の開発の歴史は古い。
1049mのサンスターホテルに宿泊。アイガー北壁の真下に位置しており、到着時はまだ明るく北壁を見上げた全景は圧巻。
また夕食はホテルで20:00からだったが北壁をガラス越しに見上げて素晴らしい雰囲気であった。
6日目 25日
7:50ホテル発、雨が本降りで昨日とはうって変わって、アイガー北壁は下から見えなかった。
アイガーエクスプレス(ゴンドラ)で上がる。
雨から雪に変わり周囲の景色はほとんど見えない。
ゴンドラ終点のあとは、2021年新設のアプト式の鉄道ですぐにトンネルに入る。
時間がありアイガーメア駅で下車して写真を撮るが、そこは標高3100mの場所で、 メンヒ山頂の真下だとの事。
ユングフラウヨッホ駅(3454m)に到着。
エレベーターで約200m上がり、3600mのヨーロッパ最高のスフィンクス展望台に到着。
酸素が薄く階段では息が切れるので、皆無口で絶えず深呼吸し必死で歩行。
展望台は周囲がガスで真っ白で残念ながら山は見えなかった。
展望台とエレベーターの間には、色々な展示があり、
① ユングフラウ登頂の歴史(マッターホルン博物館と同様な歴史展示)
② 氷河をくり抜いてトンネルを作り、人を通して直接触れるようにしている。 外壁を触っても溶けないし、歩いてもあまり滑らない!
③ 登頂で犠牲になった方々の名札
途中、メンヒ、ユングフラウが見えて、その間に濃い青のヨーロッパ最大のアレックス氷河も見ることができた。
11:17の電車で駅を出発して11:54クラウネハイゼック駅に到着。
駅より雨の中ドン湖(Thun)、インターラーケンを経由首都ベルンに向かう。
ベルンはスイスで四番目12万人の町。皮のなめし業が中世の産業で、ベルン旧市街が世界文化遺産でユネスコ登録されている。
ベルン到着後バスで、連邦院国会議事堂、カジノ予定地、などをバス内から観光した。
1970年?に再現された時計塔を見学するがちょうど4時になり、からくり時計が動くのを見ることができた。
時計塔の前の石畳道を歩くと11の噴水があり、最初は熊の顔の騎士の噴水で始まり最後が目隠しをした女性の噴水。
その後熊野公園があり二匹のクマがいた。
ベルンの観光を終えて、一路チューリッヒへ、高速に入るまで少し渋滞になった。
18:25頃、チューリッヒの中心から20km程度の高速の両側に突然数十の国旗と見窄らしい平屋が出現、難民キャンプだろうか?
スイスの高い物価、日本と比して高いGDPと伸び率の源泉がどこにあるのか調べてみたい。
7日目、8日目 26日、27日
9時ホテル発、空港間近の駅のためすぐに空港に入れたし、チェックインもスムーズで、ワインを買い足して12:45搭乗、13:00過ぎに定刻でチューリッヒを後にした。
2023年4月30日日曜日
スイス旅行(1)
この旅行は阪急交通社が企画したスイスの鉄道と展望台を8日間かけて廻る旅行で、木村添乗員と二人のドライバー、27名の参加された方々と良い思い出ができました。
旅行企画は4月発の今回から毎月真夏まであって、4月発が最初の旅行であり、コロナの為同社としても私自身も久しぶりの旅行でありました。
スイスの4月は、気候が不順な場合が多いようで、事前の天気予報は雨が続き気温も低く悲惨な予報でした。
木村添乗員によれば誰か晴れ男、女がいたようで、降雨降雪であってもモンブラン、モンテローザ、ディスカム、などが頂上まで見え、メンヒ、ユングフラウ、ドムもほぼ見えました。
グリーンデルワルトのホテルからは真上アイガー北壁を堪能出来ました。
またスイスの人気の鉄道路線を乗りまくり、ベルン、チューリッヒでは好きなトラムも見ることができました。
初日 4/20
4/20成田空港に久しぶりに集合。
ツアーは関東だけでなく北海道から、広島、九州と日本中から来られていました。
スイス旅行のこのコースとしては旅行社もコロナ後初めてとの事。
阪急交通社の木村添乗員の元、27名が参加して、スイス空港のB777-300を往復利用。
食事は軽食を含めて3回出たがリーズナブルな内容だった。
退屈な中、スイスエアの飛行状況はPanasonicアビオトロニクスの凝った表現で楽しめた。
時速890〜930km、高度10,500m前後であるが、欧州に近づくと風速が時速80kmあり890kmで飛んでいても大地との速度は980kmほど出ている様だ。
今どこにいて、どの様に加速上昇するか、全飛行ルートの紹介、後何km、何時間で着くかなど簡単な操作で理解できる。
なおロシア上空が飛べず、従来よりも1時間以上必要だ。
もう一つ、日本語訳した映画が多く退屈しないが、音楽も色々あって楽しめた。
モーツァルト、ハイドン、シューマン、マーラー、ラフマニノフなどクラシックも豊富だが、現代のヨーロッパ、スイス、などでのヒット曲がいろいろなジャンルで楽しめた。
私の好きなクラシック、ポップス、R &Bなどが古い年代なので、勉強にも刺激にもなった。
そうかと思うと、最後のPlaylist は「past decadesのあなたの音楽」という事で知らない曲でも何か懐かしく楽しめた。
空港に予定通り到着し、ハイジ村経由プール町(人口7万、ロマンシュ語を話す)のホテルにバスで移動。
最初は夕焼けも見えていたが、バーレン湖を超えたあたりから真っ暗になる中、雪は酷くなってきた。
アルブラ峠越えの為、チェーンを装着やっと40分遅れで11:40サンモリッツのホテル着、就寝は1:30頃と厳しい出発だ。
2日目 21日
5時起床、外は6時には明るいが雪は降っている。 対面のホテルが雪景色に綺麗だった。
ホテルの部屋は床が木製で山小屋風、8:00に出発、雪の降る中バスがでたが、雪はどんどん降る。
サンモレッツ駅から2等車1車両を28人で貸し切って8:51にイタリアティアーナに向け出発。
ベルニナ急行でオウスビテイオベルニア2253mを超えて下るまで、雪景色一色で素晴らしい。
ボスキアヴォ湖を超えた有名な360°のループ橋も見事でした。
ティアーナからバスでディアボレッツアに移動。
ロープウェイにてディアポレッツア展望台(2978m)へ。 早朝はボタ雪が降っていたのとは対照で、雪中だが薄日がさしている。
展望台では日照眩しく目がすぐやられた。
3000m級の山が見えたが4000m級は残念、見えなかった。
木村添乗員は、展望台で全部見える確率は30%なので朝の降雪を考えると奇跡的かもしれません。との事。
3日目 22日
5:30起床。 朝食、チェックアウト後8:00出発、ホテル周辺お山は稜線までくっきりと晴れている。
晴天の強い日差しの中、サンモリッツ駅までバスに乗り氷河鉄道に乗る。
二等車とはいえ豪華な仕様。
列車の窓は大きく、かつ屋根の半分はガラス張りなので非常によく景色が見える。
氷河鉄道は左右聳え立つ雪を被った山並みの底を鉄道が登ってゆく雰囲気。
標高が高くなると再び雪山の状況。
日本語の説明チャンネルもありよく分かるし、兎も角退屈する瞬間はない。 車内は添乗員さんに寄ると今が快適だが、一方夏は暑くて地獄な時もある。
11:00過ぎに昼食。 チキンとフライドライス及サラダ、デザートはタルト。
14:00頃、アンデルマット駅に到着。
バスでSaas-fee(サースフェー)に移動。
サースフェーはスノウボードのメッカ、4000m級山が見えるとの事だったが17:00 ごろ、サースフェーに到着。
標高4545mのドム山の稜線が少し見えたのはなかなかないことの様だ。
その他の山々はほぼ見えて、氷河もよく見えた。
サーフェスの街にあった教会。
サーフェスの街並みです。
サーフェスのメイン通りを往復するなかお祭りにも出会った。
日本の冬季オリンピック選手団の合宿ホテルも見た。
バスに乗りテイシュ駅から電車でツエルマットに。
テイシュ駅ではバスのトランクルームが開かない、ハプニングがあったが無事レストランまで到着。
夕食は駅近レストラン。 サラダ、チーズ系メインディッシュ、アップルタルトデザートでチーズ美味しかった。
2019年9月1日日曜日
マルチチャンネルアンプの完成
7チャンネルすべてが稼働しなかったり、大きなハム音がSWオンと同時になったり、大変手こずりましたが修正を先週金曜日午後に行って問題が無くなり綺麗な音色を聴くことが出来るようになりました。
私はFace bookのオーディオマニアという所に、この機器の状態をアップして、数名のプロ、セミプロの方のアドバイスを聞きながら完成が出来ました、皆さんに感謝します。
数チャンネルが稼働しなかった原因は、コネクターへの配線接続に問題があったが、
ハム音(30mvp-p)の原因は、トランス2次側からダイオードブリッジまでの配線を縒り合せず、その為に大きなループを作っていたところにありました。
±20Vacからダイオードまでの配線は2.0mmsqを使用していますが、それを50mm以下の三木海ピッチで縒り合せることによって、対地芯線平衡度を小さくする(多分-30db前後)事で、誘導源効果を減らしてハムが聴こえなくなりました。
配線の変更箇所を写真で参考に示します。写真中、赤色被覆線と黒色被覆線を縒り合せている配線が変更後の配線です。
このアンプとTA2020使用のD級アンプの違いはかなりはっきりしてます。
このアンプのほうが繊細、ふくよか、厚みがあり低音が伸びて聞こえます。
以上